今日は部内の道修理の日。老いも若きもひと汗かいて圓座になって汗をぬぐう、と、座のなかの2、3の若者が立って圓座の人達を尻目に下水に向って立ち小便をはじめた。
この様を見た年かさの卯吉老が、ちえっーわい等勿体ないことばかりするなぁー、と大きな声で戒めた。
その言葉を背に小便を終った若者が元の座にかえりながら大きな声で卯一さんいまなんて云った、わいら勿体ないとはそりゃ何の意味だい教えてくれやと大きな声でけしきばった。
卯一老はキセルの煙を静かに吐きながら、ほぉう気にさわったかい、つい、勿体ないと云ったのはなぁー俺らの昔を思い出してな云っただわい。
俺らの故国ではなみんな暮しが苦しくてな、百姓は大切な肥料が買えんでなぁー、小便や糞のときは吾家に急いで帰って肥樽か肥溜に必ず用を足すように親からやかましく云われていてな、それを守ったもんじゃ。
わい等がいまたれた小便は昔は大切な肥料だわい。下水に足れた小便は無駄なものだわい……それでついなーぁ。
この卯一老の言葉に若者も圓座のみんなが卯一老に注目し、しいんとなった。
しばらくして若者の一人秀さんが卯一さん本当に内地じゃ肥料買えんかったかいと声を落してきいた。
卯一老は、そうだわい、内地の水呑み百姓になんで今のように過燐酸だ、硫安だ、鰊粕だ、そんなもんが買える道理がないわい、肥料といえば一にも二にも下肥、それに草を刈って堆肥を造ってな、それを遠い田畑に天びん一本でかついだもんだ、つらかったわい、それを思うと今は極楽じゃわい、わい等なあ、肥樽かついで手ぢやくで畝に肥かけながら走れる者が一人かいるかい、下肥に草の葉かぶせてこぼれんように遠い畑に行って、汗かいたなあ。卯一老がかんがいぶかげに一息ついたとき、なんでも一言ある若者の鶴さんが、卯一さん俺、以前からきいて置きたいと思っていたことがあるんだが、変なことだけどと云うと。
卯一老、あゝ いいぜ、なんでも云え。
鶴さん男前の顔を引き緊めて、あのな、むかしな、糞たれたときなんで尻ふいていた、なあ卯一さん、と。圓座のなかの女性が、またいやらしいことを鶴さんが……と。
鶴さんなおも、どんな紙買っていたの、と。
この鶴さんの問に卯一老ぐーと鶴さんをにらみながら怒り声で。
この不足(馬鹿者の意)めえー昔紙を買って使うような百姓がいたかぁーよく考えてみろ、紙買えるようなものは村長か街の分限者だわい。尻ふくとき、そりゃお前えー、草の葉、木の葉、藁しべだー。
この卯一老の怒ったような返辞に圓座の一同さすがに真験な顔になってしばし。
鶴さんは隣の誠さんに小声で、なぁー。草の葉、木の葉はわかるんだがなぁー、藁しべでどうやってなぁーと。
このとき私は藁しべの使い方より、紙が買えない百姓のことと、小学生の頃、新聞紙に書き方の下書を何べんも何べんもやった後、小言をもらいながら買ってもらった高い半紙に清書したが幾枚書いても清書にならず、書方の点がゼロで叱られてばかりの小学生時代の出来事を思い出す。同時に卯一老の紙買えるかいの言葉が身にしみた。
しかしこの場では、草の葉、木の葉を使うことはまゝみんなが経験のあったこと。それは判らんではなかったが。
藁しべ? たしかに冬になれば草の葉、木の葉は無いときである。しかし、しかし卯一老の、藁しべだい、の返辞は予想もしていなかったことであった。
どうして使う、藁しべでお尻がきれいにふけるのかの疑問。だれがその方法を、きくのかなぁーと思ったとたんに。
さぁーまた一汗かくか、と先輩がスコップを立てて立ち上った。
なにかこの先輩の一言に救われた様な気がして、みんな仕事にかかったが。
あれは支那事変の始まる前だったか。私はあのときの卯一老とあの言葉はいまも忘れていない。
わらしべとは藁の根子についている稲のやわらかい枯葉のこと。
鈴木春男
『文学岩見沢』 第27号掲載
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岩見沢にもたくさんの民話があったんですね。
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