馬は北海道の開拓とは、切っても切りはなすことのできない重要な役目をもっていました。
農家一戸に最低一頭の馬が飼われており、家族同様大事にされていました。冬は材木運び、春は木の切り株の堀り上げやプラオを引いての耕耘、夏は除草作業や、川から砂利を上げて道路に敷いたり、秋は収穫の仕事と一年中重労働ですから、思いがけない事故で使えなくなったり、又十歳を過ぎると体力がめっきり衰えますからそんな時は代わりの馬を見つけなければなりません。自分でさがす方法もありますが、たいていは馬売買業のところへ相談に行きます。手持ちの馬を売ってくれたり、あちこちへ出かけて適当な馬をさがしてくれます。この商売を馬喰とよんでいました。
幌向川をはさんで、向かいは栗沢、こちらは岩見沢。
この往来に舟を使った渡場は交通の関所であり、人の出入りの激しい繁華街でした。この街はずれに馬宿牛馬売買業の看板をかけた龍次郎という馬喰がおりました。若い頃やくざの仲間におり物騒なことを切り抜けてきただけあって、それなりの風格をもち、みんなから「龍次あにい。」とよばれていました。
この細君の菊乃がまたこの界わい一のべっぴんで、うわさによると道南の料理屋から身受けして一緒になり、この地へ流れついた、とかいうことですが、その女傑振りもなかなか堂に入っており、たてひざで長きせるをくわえながら何人もの馬丁をあごで使っていました。
馬市があれば夫婦揃って出向いてセリに加わり、何頭もの馬を連れて帰ります。馬商の話にも龍次郎より先になって相手になります。
或る日、かって龍次郎がわらじをぬいだ丸も一家の子分達が「休ませてくれい」と大挙して入ってきました。
長ドスを持ち血相を変えたその様子は唯事ならぬよう。
こもごも話した内容は、昨夜岩見沢市街の「たちばな屋」という芝居小屋で丸も組の一人が対立関係にあった夕張の柳田一家の子分に袋だたきにあった、その仕かえしに山越えして夕張へなぐり込みをかけるとのことでした。
「それじゃ万字まで馬で送るべ。」
菊乃はコップに酒をつぎながら馬丁達に
「馬を用意しろ。」
と命令しました。
丸ものやくざ達が裸馬にまたがって口々に
「あねさん世話になったなあー。」
とひづめの音をひびかせて出発しました。
「みんな帰ってこいよー。」
菊乃も龍次郎も祈るような気持ちで見送ったということでした。
皆さん、『馬喰物語』いかがでしたか?。
次の民話はヤチベコ物語です。お楽しみ下さい。
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