玉泉園物語


いまの中央通りは子どものころ夕張通りと呼ばれていた。この夕張通りについてはこんなことが語られている。その昔ここは鹿道(しかみち)といって、鹿の通る細々とした道であった。

その鹿道をどこまでも歩いてゆくと、着いたところが夕張だったという。それで夕張通りという名がでてきたわけである。いまはマチの中の中央通りとして栄え、そのはずれからの山道はまだいくらか夕張通りの面影をとどめているといえるだろうか。

その入り口のあたりに玉泉園がある。昔はこのあたりの山間にかけて、キジやハトや鹿がいた。みんな平和な暮らしをしていたようだ。いつかアイヌが住みつくようになり、狩猟好きなアイヌのえじきになることが多かった。

そのためにうたれて傷つく動物が多く、神さまはこのことを悲しまれ、それらをいやしてくれるわき水を与えてくれた。このわき水が鉱泉で、これをわかして静養の場所としているのが、いまの玉泉園である。

ところで、ある日のことであった。よたよたと傷ついた1匹の鹿が、この水のあたりにやってきて、2、3日ばかりはほとんどここで過ごしていた。鹿は傷ついたからだを水にひたして、みずからをじっくりといやしているのだった。

ひとりの若いアイヌが、この鹿の後をつけてたけ高いささむらからすっかりそのようすをのぞいてしまった。数日もすると、この鹿はもうまったく元気になったらしく、いきおいよく立ち上がって、ささむらをかきわけるようにして去ってしまった。

そして再びそこには姿を見せることはしなかった。若いアイヌは、このことを大人たちに話して歩いた。アイヌたちはその不思議な水をたずねてそれがただの水でないことを知った。アイヌたちは、傷ついたとき、疲れたとき、ひそかにその水がどんなに役立つかを試してみた。

神さまの恵みは与えられた。アイヌに新しい知恵が生まれた。恩恵を受けることだ。これをのがすことはできない。そう思った。ところが、このことは、ここを通る旅人の目にもとまった。不思議な水は、すぐひとびとのこころをひいた。

経験ゆたかな旅人は、それがどんな水か、それがどんなことに役立つかを直感した。こうしてわき水はしだいにささやきを大きくしていった。やがて旅人によってわかされるようになった。つまり温泉として使われるようになったのである。

不思議なわき水は温泉にかわった。わかすことによっていっそうの効用を高めた。キジやハトや鹿の神さまの水は、人間によってたくみに利用されることにより、そこには誰がこしらえたか、旅人のためのかりの宿泊小屋もでき、ゆっくりとその旅情を慰めることも可能になったのである。

それからまた年月が流れた。時は惜しみなく人間の世界を、そしてその環境を変えていった。玉泉園はそうした現在の顔である。いまはいわみざわの静養地として、またいこい、健康なレジャーの場所として、多くのひとから愛され、親しまれている。





皆さん『玉泉園物語』いかがでしたか?。
次の民話は 熊射ち物語です。お楽しみ下さい。」

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