熊射ち物語


札幌、幌内間の開通ができ、岩見沢にも駅ができた。そうして近代文明のさきがけ「義経」号などが近くを通るようになっても、熊は人家の近くまでやってきた。

ある夜などは、ひょいとおおいのない窓穴から、熊がのっそりとのぞきこんでいることがあって、ドギモをぬかれたという話がある。

当時、熊射ちの名人といわれるハヤトがいて、熊はよくうちたおされた。なかでもハナコという子連れの羆がいて、これがなかなかのつわものなので、ハヤトの心臓は高鳴りしていた。しかしハヤトは、とうとうこの熊を突きとめて、一発で見事にうち抜いた。そんなことで参るような奴ではないので、二発、三発と射ち込んだのだが、それでものがれのがれて川のふちまでやってきた。

これが幾春別川で、そのころは川幅も広く、水もまだ青味をおびていた。川ぶちまでやってきた熊のハナコはそこでざぶんと水中に飛び込み、流れに逆らってようやく向こう岸に着くには着いたが、ここで最後の一発を食らってしまった。

ハナコはハヤトに射止められた。ハナコはどぶんと水しぶきをあげて水中に引き込まれた。そのまま流されていった。そのために、幾春別川はみるみる鮮血に染まり、一瞬、赤い花びらがひらくようにみえたという。

母親を失った二匹の子熊、タロウとジロウは、親の因果で、これもハナコのようになってはと、無残にもとらえられて殺されてしまった。住民たちは罪のない子を殺した供養にと、あかだもの大木の幹をけずり、そこに、ハナコの子、タロウ、ジロウの墓と書いた。

すっかりひらけ切った現在は、それが単に語り草として残っているだけで、どのあたりであったかも知る由もない。ただ熊射ちの名人といわれたハヤトが、後年は体力も衰えて、余り熊を追い回すこともできず、待ち構えて射止めたという熊の木が近年まであったという。

それは十メートルばかりの大樹の切り株で、ハヤトはこの上で熊の歩みよるのをじっと見ていたというのである。





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