数少ない岩見沢の名物として、ひどじょうをあげることができる。いまは亡くなられたが、短いその半生をかけたどじょうの神様とまで言われた遠藤精一さんがいてその養殖にたいへん努力されていたようである。ひどじょうというのは、ひと口にいえば赤どじょうのことで、健康で快適なときはいっぱんに赤色を増し、そうでないときは黄色がかってきて、しだいに白色になると言われている。しかし、不思議なことには、この魚の目はいつもパッチリと澄み切っていて黒色で、あたかも清純な少女のように見えるという。それはその通りで、これにはつぎのような物語があるのである。
岩見沢は開拓使がホロナイ炭山にいたる道路をきりひらくため、多くの労務者に湯浴み(ユアミ)させたところから由来して名づけられたといわれている。その頃の幾春別川には鮭がよくのぼったといわれ、昼なお暗い沢には熊や鹿が往来していたともいわれている。そんなことから、ここらあたりがアイヌの狩猟場として好適の場所で、多くのアイヌたちがさかんに駆け回っていたようである。そうした狩猟を業とするアイヌの中に、人のよさそうな老夫婦とメノコ、フミカがいた。
このアイヌ一家は、ささやかながら仕合わせな日々を過ごしていたといえる。ひとり娘のフミカは近郷のメノコの中では、美女の中の美女といわれ、老夫婦にとっては目の中に入れても痛くなかったのである。ところが、ちょうどその頃、鉄道建設のためこの地を訪れていた青年和人の技師に五一というものがいて、いつか二人は深い仲になってしまった。殊にアイヌ娘フミカは、おのれの清純な愛情をかたむけて、昼は昼でその仕事場を訪れ、夜は夜でその逢う瀬を楽しんでいた。もはや二人にとっては、結ばれる以外に道はなかったようである。
もちろんフミカは五一をわが者として愛し、ひそかに夫婦の契りを固めていた。このことは当然仕事場のうわさにはならずにおかなかったし、仕事場の男たちは、いったいこの青年はどういうつもりで付き合っているのかと、ひとごとながら案じていたようである。男たちの間では、この青年には本州の故郷に妻子のあることは知られていた。それは全く風の便りといってもよいだろう。そんなふうな伝わり方で、誰かがそっとフミカにこのことをささやいたようだ。
フミカは愕然として目先が真っ暗になってしまった。このことをすぐさま五一に問いただそうとしたが、純情なフミカにはそれは余りにも恐ろしいことであった。フミカの苦しみは日々に続いた。それと同時に、青年五一に会うこともぶっつりと跡絶えてしまった。しかし一度ははっきりと五一の口から、その真実を聞きたかったのである。五一にしてみれば、フミカがなぜ自分に会わぬようになったかは、周囲の状況からそれとなく察するようになり、もはやフミカには会えぬものと覚悟していた。
ある夜、眠れぬまま悶え苦しむ二人は偶然にも森の中で会ってしまった。つかつかと突き進んで歩みよった五一は、その一部始終を語り、深く頭をたれた。フミカの心は決まった。最初に思ったことが現実となってしまったわが身をあわれに思った。あわれ23の春は散った。しかし、そのピリカ・メノコの一途な思慕の念は、一夜明けてひどじょうと化し、悲しくもまた清く石狩の川や沼にさまよい続けることとなったのである。
皆さん、『ひどじょう物語』いかがでしたか?。
次の民話は無礼者物語です。お楽しみ下さい。
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