馬の毛色には、栗毛、芦毛、鹿毛、黒鹿毛の外に、青毛(あお)があります。
昔から、栗毛は美しいが、ひずめが弱く、青毛(あお)は黒くて、脚やひずめが強い丈夫な馬が多いといわれていました。
昔のことですから、どこの家にも馬を飼っているということはありません。村人たちはみんな馬が欲しかったのですが、馬が少なくて、なかなか買うことが出来なかったのです。
開拓使でも、農業をするのに馬がいなければ仕事が出来ないことがわかっていましたが、とりあえず、2戸に1頭の割りで馬を飼うようにというだけでした。
そんな時に、仙吉の家では1頭の馬を飼っていました。仙吉の家の馬は、みんなが丈夫で強いという青毛の馬でした。生まれた年の秋に仙吉の父が買ってきたものでした。
名前は、毛色と同じように『あお』とつけられ、みんなに可愛がられて育てられましたから、家の人のいうことは良く判るりこうな馬に育ちました。
仙吉は、よくあおと一緒にあおの小屋で昼寝をしたものでした。夏の暑い日には、あおを小川に連れてゆき、川の水をかけてからだを洗ったり、寒い冬の日には、いつもよりたくさんの敷わらを入れたり、むしろを着せてやったりしました。
何年かたちました。
仙吉もすっかり青年になりました。あおはもう20歳を越えたので、昔のような元気がありません。すっかり年をとった馬になりました。からだのあちこちに、人と同じように『しらが』もはえました。
それでも、あおは、プラオやハローを引いて働きましたし、街まで馬車を引いて行くこともありました。
ある冬の日のことでした。
仙吉が街まで打合せがあるので馬橇(ばそり)で行くことになり、ついでに2、3俵、米や麦をつけて行くことになりました。
街の精米所に、積んできた米や麦の精米を頼んでから、仙吉は寄合に行くことになりましたが、なかなか話し合がつきません。とうとう夕方が過ぎ、夜になりました。
その頃から北風が吹き出すと、次第に吹雪になってきました。時々前が見えなくなる程のひどい吹雪になりました。
あおの背に、仙吉がかけてくれたむしろは、真っ白になり、前に置かれた飼葉桶(かいばおけ)の中にも雪が入り込みました。
その頃になってやっと仙吉たちの相談も終わったので、ひどい吹雪の中を急いで帰ることになりました。
街の中はまだ走ることが出来ましたが、市街を出ると雪だまが飛んでくるようなひどさで、時々休まなければなりません。
あちこちに、大きな雪の吹き溜りが出来、この吹き溜りを越す時は、雪の中を泳ぐようにして行くので、とても急いで歩けるような道ではありませんでした。
途中までは、そのたびに、仙吉もそりを押したり、引いたりしましたが、そのうちに仙吉は、お腹が痛くなってとても手綱(たづな)を持っていられなくなり、あとは、あおにまかせて、そりの中でうずくまってしまいました。
あおは、仙吉の様子の変わったのに気がついたのか、一生懸命家に向かって、そりを引いていきました。時にはどっちの方に行ったら良いか道が判らないようなこともありましたが、あおはそのたびに良く考えて、間違わずに歩いて行きました。
仙吉の家では吹雪が益々ひどくなり、仙吉がなかなか帰ってこないので、誰か迎えに行こうと相談しましたが、道も判らないような吹雪ですので、とても迎えに行くことが出来ず、ただ心配ばかりしていました。
夜も8時を過ぎました。
みんなはどうしたものかと、あらためて相談をしていますと、ゴォー、ゴォーとなる吹雪の合間に、馬の鈴の音がかすかに、時々聞こえてきます。
『あれは、あおの鈴だ。それ、みんなで迎えに行こう。』
と、家中のものがそれとばかり家を出ましたが、西も東も判らない程の吹雪です。あちこちに大きな吹き溜りがあって、1つ越えるのに大変なことでした。
その中を、雪だらけになった、あおがそりを引いて家に向ってくるではありませんか。
家の人々は、
『あおだ。あおだ。よう帰ってきた。』
と、叫びながら雪の中を泳ぐようにして、あおのそばに行き、
『それ引け。やれ引け。』
と、みんなで家の前まで引いてきました。
そりの中では、仙吉がまるくうずくまって苦しそうにうなっています。
『それ、家に入れろ。』
と、先ず仙吉を家に入れて介抱する者、あおの雪を払って、
『寒かったろう。寒かったろう。ご苦労だった。さあ。お前も入れ。』
と、土間にたくさんのわらを敷いて、あおを家の中に入れて介抱しました。
それからは、仙吉があおのおかげで吹雪の中を命拾いをしたので、あおを吹雪号と名前をかえて大事に、大事に飼ったといいます。
皆さん、『吹雪号ものがたり』いかがでしたか?。
次は第3集あとがきにかえてです。お楽しみ下さい。
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