最近できた西川町の西新橋は明るい感じの橋である。この橋からちょっとゆくと、西川向と北村にゆく2つの道につきあたる。そのうちの北村ゆきの道を約1.5キロばかりいった左側に、案外子どもたちや一般の釣り人に知られているひょうたん沼がある。かなり大きなものだというのできいてみるが、さっぱり分からない。東西に横たわるもので東側がひょうたんの頭の方である。あたりはぼうぼうたる草原で、それが雑草だか、それとも葦や笹なのか、ともかく混沌としている。その混沌としているところに怪奇がわく。
昔からここは釣り場として、釣り人を呼んでいるところだが、一般の人には余りかかわりのないところだろう。魚はフナが主で、稀にはコイもいるということである。このひょうたん沼は、かなり遠くからでも、そこが水のあるところだということは何となく知れる。このあたりはどちらかといえば湿原地帯で、とりわけ低い地面に水が溜ったというのがその生成であろう。
ここに幾つかの語り草がある。きっとバカされているのだろうと言うところから、狐がいるといわれ、あるいはまた沼の主がいるのだともいわれている。この沼のへりに立って、何となく眺めていると、沼の水は七色に変わるようである。ときにいったいが白っぽくなったかと思うと、パッと黄色くなったり、そうかと思うと真っ赤に染まったり、紫色になったりで、不思議なほど、その色は変化に富んでいる。釣りに夢中になっている時などは、ほとんど気づかないが、後になってから、おやおや、あの沼の水は七色に変わるようだったなと思い返すのである。
あるとき突然、沼が二つに割れたかと思われるほどの物音がして、鮮烈なキラメキに驚くことがあるが、あれが多分沼の主ではないかというのである。それはいつか鯉でもあるといわれるようになっている。狐にバカされるというのは、この沼をたずねるとき、水がぐんぐん遠のいていって、ゆけどもゆけども、この沼に近づけないと言うのである。そんな気にさせられるのも変な話だが気づいてみたらすでに沼の中に、かなり深くまではいっていて、思わずギョッとさせれるそうだ。またある人の話では、確かに沼の向こうにひとりの怪しい女人がいてその人が呼ぶのだともいっている。
そんないろいろな、やや怪奇めいた話があっても、いまでもこの沼をたずねる釣り人がかなりいるということである。ただ決して1人でゆくなと識者はいうのである。それは人間の到底計り知れない精神の世界をうんぬんするからである。
皆さん『ひょうたん沼物語』いかがでしたか?。
次の民話は逃亡囚物語です。お楽しみ下さい。
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