当時の岩見沢の丘陵地は大きな原始林でおおわれていました。その原始林の中で鹿や兎やきつねなどのけもの、鷲、はやぶさ、とびなどの大きな鳥から、山げら、ひわ、うぐいすのような小鳥までが数多く楽しく暮らしていたのです。その原始林も次第に開拓されてきました。今まで、けものや鳥のすみ家になっていた森が畑になり、大きな原始木が切り倒されてゆきました。
あるきつねのすみ家であった原始木が切り倒されたので、そのきつねのすみ家がなくなりました。倒した原始木は今の教育大学前の明治池寄りの小高い道路わきに置かれ、いつか道行く村人の一休みする場所になっていました。その木をすみ家にしていたきつねは、時々森から出てその木に休むことがありました。きつねはその時、その木に腰をかけている村人をうらみました。
ある時、医師が馬に乗って通りかかりこの木に腰をかけて休みました。もうすっかり日が暮れていました。
この小高い所からは今の西5丁目の道路がついていませんので、町に入るには神社の方へ向って野球場の低地まで下り、ポントネベツを渡ってもう一度坂を登り神社の前に出てから市内に入るのでした。
一休みした医師は一服すると馬に乗って帰ってゆきました。きつねはその時一寸いたずらをしました。馬は今来た道の方へ走り、坂を下り、また明治池を通りすぎ、登った所から左にまわり、今の東山ホテルの近くを右にまわって又もとの場所に出て来ました。
「どうしてまちがったのだろう。」
と医師はびっくりしました。いそいで馬をひきかえすと又走ってゆきました。その時馬はもとの道を走ってゆきました。そしてぐるぐると森を一周して、又明治池の坂を登り最初の場所に戻ってきました。
医師はどうしても家に帰れないのです。時間はどんどんたってゆきました。とうとう鞍から鯨の骨でつっていた小田原提灯の灯もきえてしまいました。医師は困って明治池の水門番人の家を起こしました。
「爺さん、爺さん起きておくれ。」
爺さんはびっくりして起きてきました。
「おや、先生どうされた。さっきから馬を走らしていなさったのは先生かね。」
「爺さん。どうしても家に帰れないのだ。さっきから馬を走らせているが、どうしても同じ所に出てくるのだ。」
「それぢゃきつねにいたずらされたのだろう。先生はきつねの丸太に腰をかけて休んだのだろう。タロウー、タロウー、出てこい。1つほえろ。」
というと後からアイヌ犬が出て来て、一声大きくワンワンとほえました。
「さあ先生、きつねも森に帰ったろう。わしがついてゆくで一緒に病院にかえりましょう。タロウや、ついてこい。」
といい、それから爺さんの案内で神社の方を通って病院に帰ることが出来ました。
その後時々夕方おそくこの木に腰をかけて休む人は行先が判らなくなるので、いつか村人は「きつねの丸太」と呼んでこの木には腰をかけて休まなくなりました。そのかわり、小さな丸太をその前に置いて小さな丸太の方に休むようになりました。
この丸太の根元の方は私が小学生時代までそのままに置かれてあり、中が大きな空洞(うろ)になっていました。そして、犬をつれて行けば大丈夫、だまされることはないといわれていました。
また、お供物をしてから休むとよいともいわれており、よくお供物がそなえてあったものでした。
<参考>
この時の医師は私の父親です。俊馬は英俊号というハクニー種の栗毛の種牡馬でした。このあと私宅所有の山の番人が同じ所で同じような事にあっています。(伊東)
皆さん、『きつねの丸太物語』いかがでしたか?。
次の民話は出かけられる神様です。お楽しみ下さい。
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