その頃はどこにもお医者さんが居ませんでした。
また、医者がいても今のように、内科、外科、耳鼻咽喉科というように専門に分かれてもいませんでした。
外科の先生でも、内科も小児科も眼科も何でも診てやりました。それと同じように、内科の医者も外科もやれば産科もみました。
それは、たいへん月のよいある夜のことでした。いつもですと、ドンドンと病院の玄関の戸をたたくのですが、この時ばかりは中庭の方の縁側の戸をトン、トンとたたくものがいました。
医者が目をさましました。
![]()
「だれだ。」
と問いますと
「先生、先生。お産でカカアが苦しんでいます。産婆さんでは手におえないといいます。どうか助けてください。」
というのです。
「それは大変だ。どこの誰だ。」
と聞きますと、隣村の藤八というといいます。
「藤八とは聞いたことがないがどのあたりだ。」
と、問うと、森の先だというのです。
「まっていろ。家が判らないから一緒にゆこう。」
と、医者はお産の用意をして出てくるくると病院の前に馬車がきています。
それとばかり車に乗ると、前後に提灯を持った者がついて一緒に走り出しました。
どこをどう通ったのか立派な門構えの家に入り、どうやらお産をすませましたが、ふた子のお産でした。
生まれた赤ん坊はどちらもうぶ声を上げませんでしたが、二人共元気でしたのでこれはよかったと思いそれぞれ手当をしてやりました。
「先生ありがとうございます。おかげ様でございました。どうぞこちらでお休みを。」
と、立派な料理でお酒をごちそうになって、1、2杯のむと、夜中に起こされてお産の手当をしたので疲れが出たのか、ねむくて、ねむくてしようがありません。
「もう大丈夫なようだから帰るが、あとは、これこれしかじかの手当をして具合が悪いようなら明日病院に知らせに来なさい。」
と、いうと
「先生のお帰りだ。早く用意をしてお送りを。」
と、来た時と同じように馬車に乗りますと、あっという間に病院に着きました。
ついてきた若者たちが
「先生のお帰りです。」
と病院の門をあけ
「ありがとうございました。」
と、礼をいうなり、サアーと帰ってゆきましたが、すぐ見えなくなり、よく考えてみると馬車の音もしなかったようです。
「不思議だなあー。」
と、思いながら家の中に入ってゆくと、病院では真夜中に何もいわずに中庭から出かけると、後ろ姿もすぐ見えなくなったと大騒ぎをしている最中でした。
「先生さま。どこへ行かれただ。」
と、爺に問われても医者はただにが笑いをするばかりでした。
「いや、とても疲れた。休ませてくれ。」
と、いうと、先生は床の中に入ると大きないびきをかいて寝てしまいました。
「先生は、きつねのお産を手伝いにゆかれたそうな」
と、いう、うわさがおきました。
それからは、村ざかいの森にある稲荷の祠は安産の神様のになったといいます。
参考
この医者は、私の父のようです。
祖母と爺は、この話を信じていましたが、父は何も申しませんでした。
皆さん、『きつねのお産』いかがでしたか?。
次の民話は鉄管道路物語です。お楽しみ下さい。
トップページへもどる
岩見沢の民話のホームページへもどる
私のいわみざわへもどる