恋沼物語


ずっと昔のことであった。一軒の開拓農家が草深い中にポツンと建っていた。その家の近くには大中小の3つの沼があって、農家は1番大きな沼のそばに建っていて人々は3つの沼をあわせて三鏡沼(かがみ沼)と呼んでいた。大きな沼にも、小さな沼にも川魚といえば鮒だけであった。その外の魚は何一つ釣れることがなかった。大きな沼は青くすみ、小さな波さえも立たない程の一番深そうな沼であって、水も一番冷たい沼であった。この3つの沼はどこからも入ってくる川がなく、この大きな沼の底から水が湧き出てくるようであった。いつも青空をうつし、夏などは真白い雲のかたちを美しくうつしていた。農家の人々はこの大きな沼を鏡沼と呼んで用水にして使うことはせず、中の沼に桟橋をつくり、そこから水を汲んだり洗濯をしたりすることにしていた。

春の日射しに畑を耕し、大豆や馬鈴薯やとうきびを播いた。そしてそれらがすくすくと育ち、秋にはたくさんの稔りがあった。毎年毎年そうした幸福な年が続いた。或る日、農家の長男に美しいお嫁さんがきた。それでその農家は今まで以上に賑かになり、毎日の食事や洗濯はお嫁さんの仕事となり楽しい日々が続いていた。

1年が過ぎ、2年目の冬がやってきたある日、長男は村人と共に狩りに行くことになった。お嫁さんはそんなあぶないことはしない方がよいと引きとめたが、村人と大勢で行くのであぶなくないといって出掛けて行ったところ、なだれにあって亡くなったと知らせがあったきりついに帰ってはこなかった。お嫁さんは悲しんで何日も何日も泣き続けていた。それからお嫁さんはだんだん無口になり、亡くなった夫のことばかり思っていた。ある日、お嫁さんはいつものように中の沼に洗濯に行った。桟橋から手を出して、きれいな沼の水で亡くなった夫の着物などを洗っていると、急に日がかげってきて、水面になつかしい夫の姿がうつっているではないか。お嫁さんは喜んで水にうつった夫にすがりつくように水の中に入っていった。その後には小さな波がただよっただけであった。

夕方になって家の人がお嫁さんの姿が見えないのであちこちと捜したが、ついにその姿もなにも残ってはいなかった。

しかし毎年お嫁さんのいなくなった頃になると中の沼に楽しそうな2人の姿が見えることがあった。そしてその後は中の沼にだけ鯉がたくさんすむようになり、1匹の鯉を釣ると同じ場所から必ずもう1匹の鯉が釣れるようになった。

しかし、どうしてもそれ以上はその場所では釣れることがなかった。釣人達はいつからかしらこの中の沼を恋沼と呼ぶようになった。何年か過ぎて沼のそばにあった家も人もよそに移り沼だけが残り、中の沼はよい釣場となったが、もうその時は恋沼から鯉沼と文字が変わってしまっていた。

今も上幌向東12号の北の方に小さな沼がやはり同じように3つならんでおり、鏡沼・鯉沼・鮒沼と呼ばれている。きっとこの物語の鏡沼、鯉沼、鮒沼がこの沼であるかも知れないとこの物語を語ってくれた老人が小さな声でつぶやいていた。





皆さん、『恋沼物語』、いかがでしたか?。
次の民話はキツネの丸太物語です。お楽しみ下さい。

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