昔は道路があまりついていませんでした。
開拓を進めるためには、どうしても道路がなければ何も出来ません。そこで、いくつもの測量班がそれぞれ道路の測量を始めました。
清吉の班は南の方から、信太郎の班は北の方から測量をしてきました。南の方から測量をしてきた清吉の班は、岩見沢のお茶の水を通って北村の界まで、北の方から測量をしてきた信太郎の班は、幌達布を通って岩見沢の界まででした。そこで、清吉の班の測量と信太郎の班の測量が出会い一直線に南から北に通ずる道路になる筈でした。
丁度この村ざかいに、徳兵衛と呼ばれる開拓小屋がポツンと建っていました。
徳兵衛さんのところでは、男ばかりの子どもの中にお千代という娘がいました。お千代は、母親と一緒に家の中の仕事をすませると畑の仕事も手伝う気立ての良い美しい娘でした。
南の方から測量をしてきた清吉も、北の方から測量をしてきた信太郎も、一人娘のお千代に恋をしました。
お千代も、清吉と信太郎の男らしさにひかれましたが、どちらとも決めかねていました。
清吉と信太郎は、徳兵衛爺さんのところに、お千代さんをお嫁にほしいと申し出ました。
「そうさなあ」と徳兵衛爺さんがいいました。
そして、2人共立派な測量師だから、今2人がしている仕事が早く正しく出来た方に嫁にやることにしようといいました。
この話が信太郎の班にも、清吉の班にも伝わりました。
清吉の班では、午前中に測量して午後は翌日の測量のための準備をすることに決まりました。
一方、信太郎の班では、午前中に測量の準備をして午後測量をすることに決まりました。
清吉は南から、信太郎は北から測量が始まりました。そして、同じ日に北村との界で2人の測量が終わったのです。
しかし、不思議な事には、2人が正しく測量をしてきたのに、どこで、どちらの方がまちがったのか一直線にはなりません。
清吉も信太郎も、自分がした測量が正しいと言い張りました。
いよいよ検査の日がきました。測量が一つ一つ検査されましたが何一つ間違いはありませんでした。
ただ、清吉の班は北に向かって右側から日が当たり、午後から測量した信太郎の方は、南に向かって右側から日が当たるので、丁度反対に日が当たったことになりました。それで光と影のために同じ測量でも少しづつ違ったのではないかといわれました。
しかし、その時にはいつか徳兵衛爺さん一家は、もう開拓小屋にはいませんでした。もちろんお千代さんも見当たりません。どこに行ったのかも誰も知りませんでした。
そして、清吉の班も信太郎の班も次の測量にそれぞれ出掛けてゆきました。
あとには村界で食い違った道路がずっと通っていました。
今、上幌向町東11号道路が北村との村界で食い違っていますから、或いはこの道路の出来た時のことかも知れません。
皆さん『くいちがい道路』いかがでしたか?。
次の民話はお茶の水の水です。お楽しみ下さい。
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