「昔のこと」
ある開拓者のイリュージョン
明治19年元旦、この日は士族移住者にとっては定められた祝日であり、休日でもあった。あのやかましい勧業さん(原安五郎のこと)も今日ばかりは御役御免である。原始林には朝もやが立ち込め、まだらな士族移住者の家々は深い雪に埋れ、炊煙が凍てついた空に静かにたなびいていた。
昨年5月入植して以来骨身を削る思いで切り拓いた土地は未だやっと3反ばかり、隣家の小山家も冬枯れの原始林でも見透すことができなかった。
厳しい寒気に夜っぴで薪を投げ入れて暖を採っていたのであったが、床板の合せめから吹き上げる寒気と板壁の節穴からの隙間風で荒ムシロの上に敷いてある布団の端々は真白に凍てついていた。
旧鳥取藩士岡伝三は寒さのため安眠できず、うつらうつらの浅い眠りから元旦を迎えた。妻のリウはすでに起き出て凍てついた水桶を炉辺に置いて厚い氷をとかしながら、身づくろいする夫の伝三に「けさはひどいしばれでなアー」と話しかけた。伝三は「左様」とポツリ答え木杓でとけはじめた手桶の水を汲んで口をすすぎ、礼儀を正し、板壁に貼りとめた藩祖池田侯の絵姿の下に柳行季を運び分厚い板をならべて供台をしつらえ、天朝さまから開拓の労を思召されて移住士族277戸に賜ったった金子拾円の紙包みと、同じく賜った鮭の塩引きそれに御神酒徳利を供え拍手を打って藩祖の恩天朝さまの御保護による開拓移住今日までの経過を生ける人に対するように報告した。伝三の後には祖母のタカと長男の高久、妻のリウが座していた。
伝三は藩祖侯への報告を終えると家族に向き直り「是が非でも、貸与された5.000坪の開墾達成の決意を家族に」と云うより、むしろ自分自身にいい聞かせるように訓し終えた。この間、時間にすれば僅かな間であったが、袷着にしみいる寒さは膝もとの感覚を失う程に厳しく、祖母のタカは生木の煙にむせいって眼をふき、鼻汁をかんだ。
夫伝三の元旦の礼が終ると妻のリウは大きな鍋を自在鍵に掛け、薪をさしくべて雑煮を温めた。雑煮は味噌あじで、だしは夏のつれづれに釣って乾しておいた大きなウグイで、手作りの野菜が沢山切り込まれた勧業課思いやりの特配の餅が入っていた。鍋を掛け終ると妻のリウは流し元に揃えておいた箱膳を、夫、長男、祖母、自分の分と順に並べ、祖先伝来の朱塗りの木盃を先ず伝三にさし御神酒を注いだ。伝三は忝けなしとグウーと一息に干すとこれを長男の高久の小さな手にとらした。盃は高久から祖母のタカに、タカから妻のリウにと廻されて伝三の箱膳に戻って伏せられた。
大きな碗に盛られた雑煮の湯気はふくやかに昇り、渡道1年目の新年を寿いだ。
高久は雑煮をフウフウ吹きさましながら餅を口に入れ、その度に「お母さま餅はうまいのうー」と歓びの声を揚げた。平素無口な伝三もつりこまれてか「有難いことジャうまいだのう」と相槌を打った。
元旦の祝膳を終えた伝三はボロ切れの足まきを幾重にも巻き、木綿のモモ引きの上で紐で止め、炉端に乾してあったツマゴをはき、黒くなった手拭いをかぶり、ボロ切れと藁で作ったテッカエシをはき、戸替りの荒ムシロをくぐって土間に立った。
開拓の業の習わしが確く身について元旦も休むことの出来ない習性となっていた。
妻のリウは流し元で食器の片づけにとりかかり、祖母のタカは高久を抱くように炉辺に進んで年末から続いて語りきかせていた「山中鹿之助」の物語を始めた。
リウが炉に薪を入れた。火の子がパアッと薄暗い屋根裏に立ちのぼった。
戸外に出た伝三は井戸の氷を棒で掛声をかけて割っていた。
朝陽は原始林を昇りきって雪に埋もれた移住者たちの家をいたわるように包みはじめていた。
皆さん、『明治19年の元旦』、いかがでしたか?。
次の民話はお坊さんと『びわ橋』です。お楽しみ下さい。
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