お坊さんと『びわ橋』


円空上人といわれる偉いお坊さんが、当時エゾ地と呼ばれる北海道に来られて、仏教をひろめました。その時にたくさんの仏像をつくってゆかれました。

その頃であったかも知れません。一人のお坊さんが石狩川から幌向川へとさかのぼり、今の幌向町のあたりからダルミ川の川岸を上流の方へ僅かな細い道をたどって歩いてゆきました。

あたりは大きな木や熊笹がしげり、太陽の光りもあまり届かないような所もありました。ところどころに小屋があり、人々が僅かな畑を耕していました。しかし、このあたりは毎年、春秋に水害があって、よい作がとれないのです。お坊さんはそのことを聞いて水害のない村にしようと願って来たのでした。

左に行くとダルミ川の本流です。

お坊さんは、その本流をさけて右の方から流れてる支流の方へ渡って行きました。

いつか日が暮れて暗くなってきました。それでもお坊さんは歩いてゆくのです。そして、すこし川幅の広くなった場所にくると、そこに木の枝や笹で小さな小屋をつくりました。

背負ってきた包みの中から僅かな食事をすませると一心にお経を唱えました。翌日もお経を唱えていましたが、それが終わると今度は持ってきた『びわ』を弾き何かの物語をうたいました。

いつか月が出て、あたりがあかるくなってきました。

うたが終わるとお坊さんは、弾いていた『びわ』を川岸に埋めてしまいました。その上に小さな赤ダモの木を植えると小屋を片付けて戻ってゆきました。

その後、何十年か経ちました。

お坊さんが植えた赤ダモの木は、高く大きな大木になり、上幌向からも幌向からもよく見える道しるべの木となりました。

それから不思議なことには、大雨が降るとこの沼に流れて来た水が溜り、丁度お坊さんが埋めた『びわ』のような形の沼になり、いくらでも水が溜まるのです。そして雨が止むと今度は沼から流れ出してゆきますので、この近くの水害はほとんどなくなりました。

人々が幌向と上幌向を往復する時にここを渡りますが、その橋にいつか『びわ橋』と名付けて水害を除いてくれた坊さんの恩を忘れないようにしました。

いつか大きな赤ダモの木は道路を広げるために切り倒されました。橋もいつか架け換えられました。ただ、近くのお年寄りが、秋の月夜にこの橋のたもとにゆくと、お坊さんの弾いた『びわ』の音が聞こえるといっていました。





皆さん、お坊さんと『びわ橋』、いかがでしたか?。
次の民話はくいちがい道路です。お楽しみ下さい。

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