開拓当時は、お米も麦もたいそう値段の高い食べものでした。
普通の家では、お米ばかり炊いて食べることなどはなかなか出来ません。いも、カボチャ、大根などに麦やお米を少しまぜて食べることが多かったのです。
それでも少しずつお米を入れたご飯を炊いていましたから、町の人々はお店から米を買っていましたし、農家の人はその商店に米を売っていたのでした。
そうしたお店の中に一軒だけ大層ずるい店がありました。
その頃は、お米を買うにも、売るにも必ずマスではかるのです。ずるい店では、そのマスではかる時に、買うときはお米をマスに入れると一番おしまいにトン、トンと親ゆびでマスのふちをたたいてからマス棒で上をならすのでした。又、売る時は、マスの中に親ゆびを入れてマスを持ち、マス棒を使うのです。ですから、買う時は、トン、トンとたたくと少しお米がよけいに入りますし、売る時にマスの中に親ゆびを入れるのでその分だけお米が少ないことになりました。
毎日、毎日その店ではこうして商売をしていましたので、親ゆびの分だけよけいにもうかっていました。
こうして商売をしているうちに、いつからかマスの中に入れる左の親ゆびがだんだん小さく、短くなってきました。別に痛くもありません。
お医者さんに診てもらいましたが、さっぱりわかりません。そのうちに半分程に短くなってしまいました。
すると今度は右の親ゆびもだんだん短くなってきました。
人々は次第にその店に買物に行かなくなりました。いつかその店もなくなってしまいました。
村の人々は、あの店の人の親ゆびは、米をはかる時にマスの中に入れたので、お米の神様や麦の神様がこらしめるためにゆびを短くしたのだろうといい合っていました。
参考
今は、米や麦はすべて重さではかっていますが昔は五合マス、一升マス、一斗マスではかっていました。
一斗マスには約15キロの米がはいり、四斗(60キロ)で一俵といいました。マスの上に金がついているのは「穀用」といって米、麦、豆など穀物をはかるマスです。
金のついていないマスは、「液用」といって酒、油、醤油、酢などをはかるマスで区別されていました。
皆さん、『みじかくなった親ゆび』いかがでしたか?。
次の民話は野にかえったわらびです。お楽しみ下さい。
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