さむい冬も春のひがん(春分の日)が過ぎると、一日一日とだんだん暖かくなってきました。そして山などに少し雪が残っていますが、原野の方はすっかり雪がとけて、草が芽を出し、ヒバリが空高くまい上りさえずり始めました。
もうすっかり春になりました。
仙吉らは畑仕事の合間をみてワラビ採りに出掛けることが多くなりました。
採ったワラビは、その日のうちに灰を入れた湯でゆでるのです。
おひたしにしたり、油いためをしたり、ご飯の中に入れたりして食べるほかは塩づけにして夏から秋、そしてお正月に食べるようにしていました。
しかし、採ってくるワラビは、どんなにたくさん原野にあっても、その家で、その日のうちにゆがくだけしか採らないのが決まりだったのです。
それは、あまりたくさん採ってくると、その日のうちにゆがくことが出来なくなり、1日も2日もそのままにしておくと、根元の方から食べられなくなるからでした。
そのことを村の人々は『ワラビは野にかえる』といっていました。
仙吉らは、いつも食べれるだけずつ採ってきていました。
ところがとなり部落の欲の深い甚吉は、山に行き、蕗を見つけるとあるだけ全部採ってきました。又、タランボの芽も何回も出掛けて全部採ってしまうので、甚吉が採って歩いた所のタランボの木はいつか枯れてしまいました。
その甚吉が馬車を仕立ててワラビ採りに出掛けました。そして、よい場所を見つけると鎌で刈るように、はじからすっかりワラビを刈り取って帰ってきました。
そして、大きな鉄鍋に湯を沸かし、採ってきたワラビをドンドンゆがいていましたが、あまりたくさんなので半分もゆでることが出来ません。後は明日ゆでようと庭先にそのまま積んで置きました。
夜中を過ぎますと、甚吉がワラビを刈った原野のワラビの神さまが様子を見に来て、山と積まれたままのワラビを見て怒りました。
『食べもしないのに刈り取って庭先にそのまま山積みにしておく村人はこらしめなければならない。明日になったら、湯がいても、干しても、漬けても食べられないように、固くなるだけでなく、食べたら口の中が、苦くて苦くて舌がよじれるようになれ。』といって帰って行きました。
翌朝、甚吉が起きて又、鉄鍋に湯を沸かして残ったワラビをゆでましたが、今度はいくらゆでても軟らかくなりません。1本とってカジッてみると口中が苦くて苦くて思わず吐き出しました。急いで井戸水で口をすすぎましたが、なかなか苦みがとれません。
甚吉は、たくさん採ってきたワラビのほとんどを捨てなければなりませんでした。
それからは甚吉も、その日のうちにゆがくだけしか採らないようになったので、仙吉たちは、いつもおいしい山菜を食べられるようになったといいます。
参考
ワラビはあくが強いので採ったその日のうちになるべく早く、木灰か重曹を入れた湯でゆがいたあと水にさらします。
採ったまま1日おくと3寸(9センチ)帰るといわれる程、根元の方から固くなり、苦味をまして食べられなくなります。
ワラビの発ガン性について、酪農学園大学の牛島先生は、モルモットと人間は別ですといわれ、この発ガン性物質は、アルカリや熱に弱く、水に溶けやすいので、重曹などの入れた湯で十分あく抜きをしたり、水にさらすなど下処理に注意すれば、かなり分解されたり、抜けたりします。といわれ心配はなさそうです。
原野に多く自生し、大願町には、わらびが丘という国鉄バスの停留所がありました。
皆さん、『野にかえったわらび』如何でしたか?。
次の民話はなけるようになったきつねです。お楽しみ下さい。
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