木霊(こだま)ものがり

生きものには、みんな霊(魂)があります。

昔は、生きものでなくともたましいが宿っているものがたくさんありました。村人たちは、たましいの宿っているものを大切にして時には祠を建てておまつりをしたり、時にはしめ縄を張って大切にしたものでした。

岩見沢も昔は大きな樹が茂っていましたが、その大きな木の中でも何本かに木霊(こだま)が宿っていたのでした。

人々は早く開墾しなければなりませんので、自分の持ち場の土地の大木を次々に切り倒してゆきました。そしてあちこちに集めると火をつけました。天を焦がすような勢いで木は燃えてゆきます。2日も3日も燃えてゆきました。燃え終わると人々はそのあとに麦やいもなどを蒔きました。

畑という文字は、こうした事からつくられた文字であるといわれています。即ち、火と田の組合せです。こうして切り倒して火をつけて焼いたあとにも幾つかの焼け残った大きな木の切り株が残っていました。小さなものは根元から掘り起こしましたが、中にはあまりに大きくてそのままにしておいた木の根もありました。何年も何十年もこうした大きな切株は畑の中にデンと立っていました。これが木霊の宿っている木であったのです。

そのあたりは開拓が始まってから20年も30年もたって、すっかり開けた農地でした。しかし、木霊の宿った木の株は外側に苔がはえましたが、まだ畑の中に立っていたのです。

ある秋の夜でした。その日は朝から冷たい霧雨のような細かい雨が降っていました。夕方から僅かに風が吹き始めました。

仙吉が急な用で隣村まで出掛けました。そして、夜遅く帰ってきました。その頃はもうすっかり雨が止んでいましたが、風は尚も吹いています。

仙吉は峠を越えました。村里に近くなってきました。目の前の小さな林を抜けると、あと僅かな道のりです。仙吉はいつも通る林の中の道を歩いていました。風が林の上を音をたてて過ぎて行きます。

丁度その時です。遠くの方でぼんやりと白く光っているものが見えました。何も見える筈のない林の中で白く光っているのです。仙吉は驚いて足を止めました。何が光っているのか判りません。今まで何度もこの林を通りながらついぞ一度も見たことがありません。そして、その光っているもののある所は、もともと何もない所です。

仙吉は、背中がスウッと冷たくなりました。林の中はしんと静まりかえっています。

仙吉は、立ち止まったまま神様に祈りました。そして、もう一度その方を見るとやはり光っています。そして風が吹く度にチラリ、チラリとその光るものが小さく下に散ってゆくのでした。仙吉は勇気を出して1歩、2歩とだんだん近寄ってゆきました。

近寄るにしたがってその光るものが次第にうすくなりついに見えなくなりました。仙吉は尚も近寄りました。そしてついに大きな木の切り株の前に出ました。それは何10年も前に開拓される時に切り倒された1番大きな木の切り株でした。今はすっかり朽ちて苔がはえていました。

仙吉は、村人が話をする木霊の宿っている木の主はこの切り株であろうと思い、小枝でとりあえず柵をつくると急いで村に帰りました。

翌日人々は、この話を聞き相談の上、この切り株がすっぽり入る祠を建てておまつりすることにしました。

それからはこうした事がなく仙吉の村は平和に暮らしましたといいます。





皆さん、『木霊ものがたり』いかがでしたか?。
次の民話は馬の背です。お楽しみ下さい。

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