なべの沢物語


この工事費は、255、700円でこの年の町の予算が全部で53、7330円7銭ですから町予算の約3、8倍にあたる大きな工事でした。

これを昭和50年の予算をもとに計算してみますと工事費は902億円を超えることになります。

武吉さんは、開拓使の測量班に勤めていました。

まだ年が若かったのですが、人並以上に大きく、力もあり、年上の青年と同じように働きました。

その上よく勉強もしましたから多くの役人から大変可愛いがられ、武吉、武吉と何事によらず用を言いつけられましたが、武吉はいやな顔をせず一生懸命に働いたのです。

三年、五年とたつうちに、武吉は小さな測量や工事などをまかされるようになりました。何人かの班長になって測量に出かけることもありました。

いつか武吉も立派な青年になりました。そして多くの人夫を引き連れて工事や測量を請け負う程になりました。

丁度その頃、武吉は幌向川の上流の方に測量と工事を請け負って、たくさんの人夫を使って工事を始めました。

測量をし、設計をし、道路をつくり橋をかける大きな工事でした。人夫も二か所、三か所に分けて飯場をつくりました。

毎日まいにち、武吉は工事現場から次の工事現場へと廻って監督をしました。中央の飯場にねとまりしていましたが、その飯場に、炊事や洗濯をしている、千代いう美しい働き者の娘がいました。武吉はこの千代が好きでしたが、工事中でしたのでそれどころではありません。

千代も又、立派な青年で男らしい武吉を好いていましたが、そんな事は口に出していえませんでした。工事はあつい夏をすぎ秋に入って、もうじき完成するめどがつくようになり、開拓使の役人が何回か工事の出来具合を見にきました。その度に甲斐がいしく働いている千代を見ながら役人たちは武吉に千代をお嫁さんにしてはどうだというのでした。

武吉はその都度笑っていました。

もうあと何日で工事が終わろうと思われるある日のことでした。

千代はいつものように谷川に夕食用の薯を洗いに大きな鉄鍋を下げてゆきました。

一心に薯を洗っていると不意に後からギュッと抱きしめられたのです。

『アレー。』と、いう千代に、

『俺だ。武吉だ。』と、いうなつかしい声が耳もとにきこえます。

『武吉さん。』と、いう千代に、

『俺のところにお嫁にこい。』

と、一言武吉がいうとつとはなれてゆきました。千代はしばらく武吉の言葉が耳からはなれませんでした。そして、武吉の姿がみえなくなると急に身体中があつくなりました。

千代は思いがけない武吉の言葉にすっかり嬉しくなりました。あまりの嬉しさに、薯を洗うのも大きな鍋のこともすっかり忘れて、

『私は武吉さんのお嫁になるの。武吉さんのお嫁になるの。』

とひとり言を言いながら飯場に戻ってゆきました。

気がついて千代が洗い場に戻ってみると、せっかく洗った薯はみんな流れてしまい鍋だけが残っていたといいます。

それからこの沢を鍋の沢と呼ぶようになり、なべの沢は、武吉と千代の縁むすびの谷川となりました。

参考
石油の沢地区(現在の清水町)の小沢に鍋の沢という地名が残っていました。きっとこの沢が、武吉と千代の恋が実った谷川のあったところかも知れません。





皆さん、『なべの沢物語』いかがでしたか?。
次は第2集あとがきにかえてです。お楽しみ下さい。

トップページへもどる

岩見沢の民話のホームページへもどる

私のいわみざわへもどる