親子狐物語


マチのどまん中の4条通りも、そのころはまだ家屋もポツンポツンとあった程度で、あたりはひどい草叢であったということである。だからある店の主人が、ぼんやりからだ横たえて広く土間の店先をみていると、1メートルもあろうかと思われる青大将が、にょっきり鎌首をもたげて、こちらをにらんでいることもあったというのである。

そのころはまた幽霊話もあった。むかし女学校通りといわれた4丁目縦小路は、ほんの歩く程度の道であったが、この通りを得体の知れない白装束の女性がひとり、髪をふりみだしてすたすたと歩いてくるのをみたとか、みないとか、怪奇な話が入りみだれて、ひらける以前のむかしは、わかりかねることも多かったようである。

ところで昔はどこでもよくあった狐の話は、ここでは親子狐ということになっている。マチはずれの一軒家は夜のひとり歩きは禁物で、ある夜などは、すぐそこにわが家を見ておりながら、騙されてぐるぐる回りをして、どうしても家に着くことは、できなかったというのである。

これは当時のゴンスケじいさんの話であるが、そのときには、どうも臭いぞと思ったら、わが身をつねってみよ、あごの下をなでてみよ、そうしてひょいと振り返ってみることだ、といっている。このゴンスケじいさんは、わしはよくそうやったものだが、振り返るとかならず可愛い子狐が後方で、きちんとお坐りしているのをみる、ということだった。子狐はコンチャンといってほんとうに可愛いやつだったと繰り返してい っている。

コンコン子狐

えらいぞや

だますばかりが

能じゃない

子狐コンコン

えらいぞや

その瞬間、魔術がとけて、わしは急にからだの自由を取り返したものだ。だがわしは、わしの前方でわしを操っている親狐がいたに違いないのに、ただの一度だってそれを見たことがない。それでも子狐はわしの味方のようで、わしは親狐を憎んでも、子狐は可愛くてしようがなかった、といっている。

不思議な親子狐の話は、ゴンスケじいさんには、ひとつの意味をもっているようだ。大人は、ずるい。子どもは無邪気だ、たとえ知恵のない獣の世界でも、そいうものだといっているようだ。このことはマチの中でも評判高い話である。





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