大願の学校から約2百メートルばかり北にいったところに大願会館がある。その近くにいかにもその名にふさわしくない木橋がある。こんな貧弱な木橋に、なぜそのような名称があるのか不思議に思うことだろう。もっともこの妻恋橋というのは、ここの住民たちの間にだけ伝えられているロマンがあるのである。
この物語が発生したころの大願は、うっそうとした樹林におおわれていたのだが、それを伐採して開墾し、そこに麦やえん麦や芋などを植えて乏しい生活を始めたのである。移民の多くは福井県からのひとで、このロマンの中心人物もまたそうである。彼の名をスケジロウといった。
当時の北海道への移民は、内地の食いつぶしや、一獲千金を夢みた山師根性のものもあるが、開拓の志をいだいて新天地を求めるものも少なくなかった。スケジロウもその一人で、親もとを出る時には、無理にも残して来た若い女房に、かならず暮らしよいところにして直ぐにも迎えにくるからという、頼もしいことばを置いてきたものだった。
ほとんど便りすらできないままに時を過ごし、くたくたにからだをさいなんで、時には絶望感の中で、ひたひたと崩れてしまう自分をあわれに思うこともあったが、そうした中にも、夕日だけは無性に美しかった。スケジロウは、その時ここにかけられてあった、当時はもっと貧弱な木橋に腰をおろして、最愛の妻をこころから恋いしたったのだった。スケジロウはおいおいと泣いた。たとえどんなに大きな声で泣きわめいても、誰ひとりとがめだてするものもなかった。
オーイ
オーイ
オハナー
オハナー
その木魂はうっそうとした樹木が、たちまちぬぐいとってしまい、後にはただただ死の静寂が残るだけだった。
誰もいないと思われた樹林に、しかし誰かが目撃していたのだろう。この話は誰から誰へということもなく、不思議に鮮明に伝えられていった。樹林の中の目や耳が、それらがこのうっそうたる大地のただひとつの命として、やはり生きていたのである。しかし一説には、そのころこの木橋に腰をかけていたのは、1匹の狸であったというひともある。
なにせ深い夜がくると、あやしげな鳥の羽ばたき、ふくろうの鳴き声、蒼白い月影、昼間は昼間で、あたかも降るような蝉時雨である。ともかく深い幻の中のできごとである。それにしても、木橋はいまもあのようなロマンを物語ろうとしているようである。
皆さん『妻恋物語』いかがでしたか?。
次の民話はひょうたん沼物語です。お楽しみ下さい。
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