スリッパ物語


「おばあちゃん」

「なんだね。」

「今、うちの前を工事しているでしょう。」

「そうさなー。今度は道路もよくなるよなあ。」

「今、工事している道路の真中から長い木が何本も出くるよ。あれは何なの。」

「あれはなあー。スリッパだよ。」

「スリッパて何なの。」

「鉄道線路の下に敷く枕木のことだよ。」

「線路の枕木のこと。それじゃあうちの前が鉄道で汽車が走っていたの。」

「いんや。スリッパの上をお爺ちゃんやあばあちゃんが歩いたんだがなあ。」

「どうして汽車が走らないでお爺ちゃんやおばあちゃんが歩いたの。」

「それはなあー」

とおばあちゃんが話してくれました。

遠い昔の岩見沢はなあー、丘の方はよかったが原野の方は一万年程前は海だったというはなしじゃった。それで昔の海は陸との境目をなぎさの線というのだそうじゃよ。

「おばあちゃん、なぎさってなんなの。」

「それはなあー、なみうちぎわのことだよ。」

岩見沢の市街はなあー、このなみうちぎわから海の方がだんだん陸になったからほとんど泥炭の上に、川の水害の時の、どろや砂が積み重なってできた土地じゃったから、村ができて人々が入ってきた頃は市街の中に流れのよくない小川がたくさんあったということだった。

その中を切り開いて今の市街地ができたのだから、今の4条の西10丁目から停車場にまで行くに13もの橋を渡ったというぞ。

道路といってもただ両側に小さな溝があるだけで少し雨が降ると道路はグチャグチャのドロンコ道になったげな。

人々はみんな道路ぶしんに力をつくしたんけんど、近くには砂利のある川もないじゃろうに。

どうもならんこった。

いつも寄り合いがあると、きっと道路のことが話になったというぞ。

そのうちに道路に板を敷くようにしてはどうだろうということになってなあ。しかし、まちの中の道路に板を敷くのは大変なことだが、それ以上よい工夫もないということで、そこで主だった村人たちが、丸太を何本かしばって道路にしいたもんだ。ところで、雨の日はこの上を渡って歩いたもんだが、丸いのでどうも歩きずらいじゃろう。そこで丸太のかわりに、鉄道のレールの下に敷く枕木(スリッパ)を敷いてはどうだろうということになって、みんなで駅長さんにお願いに出掛けたんや。

駅長さんは偉い人でなあー。早速何千本もの枕木をただで払い下げて下さったんじゃ。

本当にありがたいことだった。

村の人たちは喜んでその枕木を3本づつしばって、駅前からずっと1条、2条、4条、札幌通り、夕張通り、農学通り、と敷いたんじゃよ。

お陰で雨が降っても枕木の上を歩けるのでよごれずにすんだもんだ。その後、土を高く盛ったり、砂利を入れたり、鉄道から炭からをもろうて敷いたりして、いつか先に敷いた枕木も土の下になっていたんじゃろうが。

あのスリッパのお陰で岩見沢のまちが大きくなったんや。

スリッパにお礼をいわにや罰があたるがなあー。

どれおまいりにいくか。

「おばあちゃん。どこへおまいりにいゆくの。」

「スリッパじゃよ。長いこと歩かせてもろうたスリッパじゃよ。」

おばあちゃんはヤッコロサとスリッパにお礼を言いにゆきました。

参考
1条2条中央通りなど舗装工事には、路面を八十里程掘り下げ、土の入れ替えをしてから舗装されます。その時に多くのスリッパが掘り出されましたが、昔は道路の中央にスリッパを敷並べてその上を歩く程、道が悪かったそうです。
札幌道路とは今の4条通り、夕張通りとは今の中央通りです。農学通りとは今の西5丁目通りのことをいいます。
昔は、駅というと駅逓のことをいいました。
そしてステーションのことは停車場と呼びました。





皆さん、『スリッパ物語』いかがでしたか?。
次の民話はカボチャの黄疸です。お楽しみ下さい。

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