射げき場物語


昔、冷水の山あいに射げき場がありました。

今の万景閣登り道の第一曲折個所を発射地点としてスキー場の南斜面あたりに設けられていた六尺四方の分厚い板の標的に向かって銃で撃つものです。

平時でも戦争に備えて腕をみがいておかねばなりませんから、連日のように鉄砲をかついだ若者が山を登って行き、終日「ドーン」「ドーンという音がこだましております。

山のふもとにいる国助も熱心な一人です。

国助はクマ撃の名人だった父の血をついでやはりこの界わい一の鉄砲の名手で、十発中九発は一尺の円形に命中する実力をもっていました。

ある年、この地方を中心に陸軍の特別大演習が、長期間に亘ってくり広げられることになりました。

天皇が来道するということで、兵士の行動にも熱が入ります。射げきの天覧大会で有終の美をかざる計画が立てられております。

この予選大会が地方毎に3ケ月程前から行われ、この冷水射げき場からは、やはり国助が、圧倒的な強さを発揮して優勝しました。

代表に決まってからの国助は、毎朝まだ暗いうちに山に向かい、朝食前の一時を練習に専念することにしました。

もう大会迄幾日もない朝のことです。夜中の雨うそのように晴れましたが、生い茂る草に残る水滴に下半身をぬらして登って行きました。

早速弾をつめ、的に向かうと深呼吸をしました。

その時です。はるか視線を金色に輝いたキツネが、よぎりました。

「ダーン」キツネは、宙を舞うように谷坂をくずれ落ちて行きました。

すぐ後をつけて来た子ギツネが、樹林から顔を出してきょとんとしています。

「しまった!何の迷いか」国助の背を冷たいものが走り、その場に座り込んでしまいました。

それからの国助は、毎朝太陽にざんげの気持ちを持って手を合わきく俯仰して大会迄の息災を祈りました。

全道射げき大会は、各地より選び抜かれた百余人の選手によって競われましたが、国助は2位になる大健闘でした。

村の名誉と、駅前は歓迎の旗がゆれ、歓喜の声がうずまきましたが、国助の脳裏には、優勝を逸したくやしさの中に、あの数日前のおごりとなった行動が微妙に影響したのではないか?

注 
私の父の国助(国輔)は、もう米寿を迎えようとしておりますが元気です。賞品としてもらった大きな柱時計は、家宝となっております。





皆さん、『射げき物語 』いかがでしたか?。
次のいわみざわの民話空知のむかし話編開拓追想ばなしです。お楽しみ下さい。

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