今の旧渡場が市街になっていた頃のお話です。
岩見沢から旧渡場を通り栗沢村に入る人。或いは、上志文や湯の沢に行く人や馬車。もっと奥のミュルトや二見沢を通って夕張に出る人。三笠の幌内炭山に行く人などが温泉の沢を通り玉泉園の所を流れるポントネ川にそってさかのぼり、東山峠を越えて歩いて行ったものです。
又、上志文の方から来た人達は、反対にこの峠を越えて岩見沢の市街に下りて来ました。
米、味噌、醤油、油、砂糖、酒、ランプに使う石油、ろうそく、塩魚などの食べもの、台所で使う雑貨類、下着や半てんなど、すべて買い物は岩見沢の商店からでした。
ですから、毎日たくさんの人や馬や馬車が、この東山の峠を越えて歩いて来たのです。
この峠は、岩見沢の市街と旧渡場の市の丁度真中でした。暑い夏など旅人は、この峠まで来るとお互いに一休みするのがならわしとなりました。
のどが乾くので、水を飲みたいものだとおもいましたが、家が1軒もありません。旅人は大層不自由をしていました。
ある1人の旅人もやはりここで休みました。水を飲もうと持ってきた水筒を出すと、栓が不十分だったので残念なことに水はすっかり流れて空になっていました。旅人はどこかに水がないかと探しました。そして、西側の谷川の泉を見つけ、やっと水を飲むと市街に下りて行きました。
その時、旅人はここに水飲み場をつくれば多くの人々や馬などが大層助かると考えて帰りに桶を運んできました。このことを聞いた、ミュルトに行く馬車追が、それでは峠まで運ぼうと馬車に乗せてくれました。
そして、泉のわきに水飲み場をつくりました。
人々はこれを「峠の水場」といってお礼をいいながら大切にして水を飲んだといわれています。
皆さん、『峠の水場』いかがでしたか?。
次の民話はシュプンベツ物語です。お楽しみ下さい。
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