毎年毎年北海道にもたくさんの渡り鳥が渡って来ました。
ある鳥は、北海道で一休みして南に行くものもありました。ある鳥は、北海道で過ごすのもありました。夏になると南から渡ってきます。冬になると今度は北から渡って来るのでした。
ある年でした。たくさんの鶴が舞い降りてきました。村人たちは初めてのことなので、驚きながら集まって見に行きました。
たくさんの鶴は、まるく囲みをつくっています。その中にケガをした鶴がいるようでした。
たくさんの鶴は、今度は村人に向かって盛んに鳴いています。集まった村人に、幸太という小鳥のたいそう好きな少年がいました。幸太は、鶴が助けを求めているのだということが判りました。
『安心して飛んでゆけや。ケガをした鶴は、俺いらが助けて飼っておいてやるからなあ。』と大きな声で叫びました。
すると鶴たちは、一斉に飛び立ち空の上で2度3度と円をかいて鳴きながら北の方へ飛んで行きました。後には幸太がいう通り1羽の大きな鶴がバタバタと飛べずに苦しんでいました。
幸太が走り寄って取り押さえ、村人たちに手伝ってもらってつれ帰り、近くの沼のあたりに小屋を作り、そこでケガの手当をしてやりました。
10日余りたつとすっかり良くなりました。そして、ある朝早く鶴は幸太たちに見送られて、ただ1羽北の国に飛んで行きました。
幸太は、手当をした鶴がいなくなると急に淋しくなりました。いままで鶴のいた小屋に行ってみました。中はきれいになっています。腰を下ろして沼の方を眺めているうちに幸太は眠ってしまったのです。
夢の中で幸太は、キズついた鶴の手当をしていました。幸太は、その鶴と話をしていました。鶴は言いました。
このキズがなおったら、私は北の国に帰ります。私は、あの群れの先頭の鶴なのです。しかし、あの群れは、もうきっといつもの場所まで飛んで行ったでしょう。私はこれから後を追って行かなければなりません。村人に受けたこの恩は私共は忘れません。幸太さんのお蔭で私はまた飛べるようになったのです。本当にありがとうございます。お礼に、この沼に棲むカラス貝にきれいな真珠を入れておきましよう。真珠が出たらそれは私共のお礼だと思って下さい。
そこまできくと、幸太は目が覚めました。不思議な夢を見たと幸太は村人に話しました。
村人は沼の中から幾つかのカラス貝を採り、中を割ってみると本当に真珠が入っているではありませんか。
村人は大層喜んで、大切に少しずつカラス貝の真珠を採ることに決めました。
そしてこの沼を鶴沼と呼ぶことにしました。
村人がいなくなってから何10年も過ぎました。
いつか鶴も渡ってこなくなりました。そして、鶴沼と呼ばれていた沼は、どこであったか判らなくなってしまいました。
参考
市内に鶴沼と呼ばれる沼・池を私は承知していません。地図の上では南幌町、浦臼町に鶴沼があります。南幌町の鶴沼は、戦前真珠の養殖事業が行われたことがありましたが、十分な成績ではなかったようです。又、カラス貝は美唄市が、もと沼貝村と称する程、カラス貝が多くいたといわれています。
皆さん、『鶴沼物語』いかがでしたか?。
次の民話は板橋さまです。お楽しみ下さい。
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