つじうら売りの爺さん


今では、考えられないような商売がありました。

その商売の中に辻うらうりおいう商売があったのです。今まで神社やお寺におまいりした時に、大吉があたりますようにと祈りながらいただくおみくじがありますが、そのおみくじと同じようなおみくじを売って歩く商売があったのです。

そのつじうらを買って、火鉢の火の上ににかざすと白い紙に文字がうき出てくるのでした。

そうした辻うら売りをして歩いていたお爺さんがいました。

秋もおそくなって、夕方からは、おもてに出るとすこし寒くなる季節になると、どこからか岩見沢にやってくるのでした。そして、辻うら売りの爺さんは、毎年必ず市街の西の方にある安宿にとまることにしていました。昼は造花をつくって売り歩き、夜は、つじうらを売って歩くのが毎日でした。

色の黒い、背のあまり高くない、貧相なやせがたの爺さんは、いつも頭からスッポリとダルママントをかぶると、自分でつくったつじうらをふところに街に出て行くのです。

1条から2条。3条から4条5条と、本当に街中を売り歩くのでした。

『商売繁昌判る恋のつじうら。』

『運勢判断判る恋のつじうら。』

爺さんの呼びかたには一種特別なふしまわしがありました。

どんな風の吹く夜でも、どんなに雨が降る夜でも、爺さんはダルママントをすっぽりとかぶり街の中を呼び歩くのでした。そして、雪が降りはじめ、もうじき正月がくる頃になるとフッと街から姿を消してしまうのでした。爺さんの生まれた故郷がどこなのか誰も知りません。どこから来てどこへ行くのか誰も知りません。親類があるのか、どんな仕事をしているのか、誰も知りません。

ただ秋になると、どこからかきて毎晩街の中を、

『商売繁昌判る恋のつじうら。』

『運勢判断判る恋のつじうら。』

とおみくじを売って歩いていたお爺さんがその年は秋になっても姿をみせませんでした。

街の人は、辻うら売りの爺さんのことなど思いだしてはいませんでした。

まちの人が集まった所では、必ずこの辻うら売りの爺さんの話が出ました。

しかし、その人たちも不思議にはっきりとその日を覚えていないのです。又、辻うら売りの爺さんの姿もみてないのでした。

丁度その頃、爺さんがよくとまる宿屋がとりこわされて、別な新しい店にかわることになっていました。

けれども人々は確かに辻うら売りの爺さんの声にまちがいがないといい合っていたのです。爺さんのことについては、名前も、生まれも故郷もなにも判ってはいません。

唯、爺さんが呼び歩いた。

『商売繁昌判る恋のつじうら。』

『運勢判断判る恋のつじうら。』

という触れ歩いた声だけが人々の記憶にのこっているだけでした。

今でも秋の、それも雨の降りそうな雲った風の強い晩に、じっと耳をすませていると、

『商売繁昌判る恋のつじうら。』

『運勢判断判る恋のつじうら。』

と、いう爺さんの声が西の方から、かすかに悲しそうに聞こえてくるといいます。





皆さん、『つじうら売りの爺さん』いかがでしたか?。
次の民話はきつねのお産です。お楽しみ下さい。

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