岩見沢は、元町のあたりからひらけてきました。そして、明治17年と18年に277戸、1003人の人々が入植してきました。この入植した人々は官営移民といって、開拓のために開拓使が入植者をつのり、希望者の中からきめたのでした。この人たちは、今の北条丁目地区から市の中心部、そして東町にと入植したのです。
その頃の岩見沢は、どこもここも大きな木が茂っていて、その間に背の高い熊笹がびっしりとはえていましたから、入植した人々は毎日毎日笹かりと木を切り倒すのが仕事であったといいます。
山には鹿も熊も住んでおり時々出てきたといいますから、大そう恐ろしい毎日だったそうです。しかし、林の中には小鳥が楽しくさえずっていました。その外に、鷹や鷲もたくさん住んでいたのです。
そのうちにだんだん周りがひらけてくると次第次第に鳥やけものの住む場所が少なくなり、熊などはずっと奥山の方にすみかをかえてしまったのです。
しかし、鷹や鳶や鷲などはお互いに自分の領域を争い時々けんかをしました。するときまって大きな鷲の方が勝つのです。それで、鷹や鳶は今まで自分たちの住んでいた林や森をみんな鷲にとられてしまいましたので、今度は小鳥の住む林を自分たちの領地にしてしまいました。
今まで、まちはずれの林に住んでいた小鳥たちはすむ林や森もなくなってしまいましたので、困った小鳥たちや大きな力の強い鷲などはもっと奥山の方に住み、里に近い森には小さな小鳥が今まで通り住めるようにして下さいと、森の神様にお願いすることんにしました。
森の神様は小鳥たちの願いをきき、もっともなことだと早速神様たちが集まって色々と相談をして鳥たちの住む場所をきめることになりました。そして、里に近いまちのまわりの林には鳩などより小さい鳥が住む>こと。次の森には鷹や隼のような力のある強い鳥がすむこと。
そして、鷲のような大きな鳥は一番奥の大きな森に住むこと、と決め、特別に鷲だけが住む森と領地を作り、この森には他の鳥が住んではいけないときめました。
神様から自分たちの住む場所を決められた鳥たちはいいつけをよく守りましたから、それからは平和な日が続いたといいます。今も奈良町の方に鷲の沢という土地の呼び名が残っています。
そしてこの森には鷲など大きな強い鳥だけが住んでいるといわれています。
皆さん、『鷲の沢物語』いかがでしたか?。
次の民話はスリッパ物語です。お楽しみ下さい。
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