わたりどりものがたり


その頃はたくさんの渡り鳥が季節ごとに日本に渡ってきました。

秋になるとシベリヤから日本海を越えて北海道に渡ってきます。中には北海道で一休みしてから、津軽海峡を越えて、南に行くのもありました。

春になると今度は南から渡ってきますと、今までいた、雁や白鳥やつむぎなどが群をつくって次々と北の国に帰って行くのでした。

毎年、毎年渡って来る鳥の群の中で、いつもその群の先頭に飛ぶ鳥がいました。又、途中で弱った仲間のために、力を貸す、力もちの鳥もいます。そして、怪我などをした鳥と共に、途中で島などに下りて仲間から遅れていく鳥や、群から離れることのないように、たえずまわりを見廻っている鳥など、渡り鳥には色々と役目があるのでした。

群が海を渡る時には、夜昼、休みなしに一気に強い風にのって飛んでゆくので、夜などはお互いに鳴き声を聞きながら群から離れないように渡って行くのでした。

そうした中で、どうしても、ついて行けない何羽かの仲間がいたのです。そこで力のある道の知っている鳥が相談して、とにかく近くの小島におりて、休んでから行くことになりました。

近くの小島といってもずいぶん遠く離れていたので、大勢の仲間と別れてから、やっとのことでその小島にたどりつきました。そして、その小島で疲れを休めたのです。

この小島は、渡り鳥の道からはずれていたので、何日たっても、仲間の鳥も、ほかの渡り鳥の姿も見ることが出来ませんでした。

小鳥たちは元気になりましたが、今度は間違いなく、仲間が飛んで行った北の土地へ行けるだろうかと心配になりました。しかし、一緒についてきた力のある鳥は、大丈夫だ。安心して早く元気になるようにと、毎日、おいしいえさを捜してみんなを元気づけていました。お蔭で弱っていた鳥たちも、すっかり良くなり、大丈夫、海を越えるまでになりました。

そこで、いよいよ仲間たちのいる北の土地に飛び立つことになりました。

この島に連れてきてくれた大鳥が、風の吹き出すのを待って飛び立つので、それまでゆっくりと眠るようにいいました。若い鳥はいわれる通り藪の中でゆっくりと眠っていましたが、だんだんと風が強く、波の音がひどくなってきました。

東の方に雲に隠れた月がぼんやりと昇ってきます。

大鳥は、一声高く鳴いてみんなを集めますと、昇ってきた月を右に見ながら、風に乗って空高く舞い上がり、みんなをつれて、北の国へと消えてゆきました。

鳥たちは、夜通し、強い風に乗って、広い海の上を飛んで目指す北の国に無事についたということでした。

そして、この渡り鳥たちは、翌年の秋に、利根別休養林に渡ってきて一休みしてから南の国へ飛んで行きました。

それからは、利根別休養林には多くの渡り鳥が集まるようになったといいます。

参考

利根別休養林のことを、昔は利根別原始林、利根別国有林と呼んで村人たちは大切にしていました。

利根別休養林は面積が約365ヘクタールで灌漑用貯水池大正池、金志の池などがあり、渡り鳥をはじめ数多くの小鳥などのために、鳥獣保護区域に指定されています。

昭和47年からは、自然保護休養林に指定され、橋や道がつけられ、指導標も建てられ市民の良いレクリエーションの森になっています。

この丘の周囲から先住民族の使用した石器や土器が発見されています。

今でも秋の月のよい晩に『クイ、クイ』『クイ、クイ』と鳴きながら、つむぎが渡ってゆく時の鳴き声を聞くことができます。





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